Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

錦帯橋シンポジウムin江戸 錦帯橋の価値

錦帯橋には1度だけ訪れたことがある。広島での学会を終え、先輩の後について岩国駅からバスにしばらく揺られてたどり着いた。夏の暑い日だった。当時の私としては、無数の部材を接いだ大きな木造のアーチ橋というざっくりとした印象しかなかったが、実物を見て、構造を学ぶ学生としての知的好奇心をくすぐられた。


錦帯橋シンポジウムin江戸 錦帯橋の価値


研究室へ行こうと準備をしていたら、東大の腰原先生のtweetを拝見し、予定を変更して大隈記念講堂へ向かった。錦帯橋はこれまでに早大の依田先生らの研究などを通じて世界遺産への登録に向けて奮闘されていることは知っていたが、詳細な話を聴講したことがなかったのでこの機会は逃すわけにはいかなかった。錦帯橋の構造をはじめ、材料、水害、工法、作り手、政策など多岐にわたる登壇者は魅力的だった。




錦帯橋世界遺産に、というのは錦帯橋を守り広めるための手段であるため、個人的には必ずしも世界遺産になるべきだとは思っていないが、技術者らの知恵や住民らの地域愛などを鑑みれば、技術の継承なども含め今後も守っていかなければならない橋であることは間違いない。橋梁工学・河川工学・景観学など多角的に語ることが出来るのは名勝ゆえの幸福だろう。


恥ずかしながら澄川氏を存じ上げていなかったのだが、東京藝術大学の元学長であり彫刻家である氏の話術に惹きこまれた。少年期からの好奇心を今でも忘れず、造形を続けられているのはなんとも素敵だ。魅力の8割は不思議から、と仰ったがまさに澄川氏は魅力たっぷりである。


依田先生が錦帯橋はアーチ構造であると結論付けたのは確か1年ほど前だったと記憶しているが、つまり木材を軸力系(圧縮)として用いていることにとても関心がある。腰原先生の言葉をお借りすれば、木材を柱のように用い、梁とは異なる使い方をされている。主として木材が用いられているが、部材ごとに材種を変えていたり、巻金などの金属による木材の補強など、細部に目を向ければ限られた材料でいかに橋を架けるかという命題に対する解法がとても素晴らしいことが分かる。もちろん、橋脚もそうだ。起こり得る水害をいかに予想してどのような対策を図るかという命題を、水中・土中に及ぶ隅々まで思考を巡らせて解いている。


しかし、上記の内容は、現代のものづくりにおいても同じことが言える。人間の根本は大きくは変わっていない。自然から得られる材料に何かしらの手を加えて造形し、機能性・安全性・意匠性を確保した上で自然との共存を目指す。目先の利益を求めて云々という話はここではしないが、高度成長期に見失った視点をまた取り戻しつつある、と言った方が正しいかもしれない。


視点を取り戻しても、継承されてきた技術は取り戻せていないようだ。パネルディスカッションで大工の中村氏が仰っていた、人材育成の機会がないという話だ。プレカットなどのハウスメーカーなどののスピードやコストを重視したものづくりによる機械的な技術が発達してしまい、大工の手仕事が継承されずに途絶えてしまう危機にある。錦帯橋の中3本は図面通りに木材を加工しても正しく作ることが出来ないという。素材の特性や重力の影響などを十分に考慮しなければ、求めるものを作り出せない。機械に頼ることが出来ないのである。


今後錦帯橋は20年に1度造り替えられるようだ。式年遷宮のようだが、技術の継承の観点からは重要な意味を持つのだろう。岩国の誇りというべき錦帯橋を通じて、日本の文化や日本人としての誇りを守っていただけたら良いと思う。澄川氏が仰っていた「漢字・ひらがな・カタカナを操る優秀な人種である日本人」の文化は絶やすことのできない貴重なものである。欧米はアルファベットしか持っていないことを考えれば、日本で育まれてきた文化は、まだ知られていないことが多数あるのかもしれない。


こうして思考を進めていると、日本人としての誇りを、と主張しているのに、世界遺産というヨーロッパが主体となっている制度に認定されたいという欲求は、どこか矛盾を感じてしまうのだがこれは邪推であろうか。


今日のシンポジウムはUstreamで配信され、アーカイブされているようなので、建築や土木の関係者の方々はもちろん、幅広い方々に見ていただきたい。
錦帯橋シンポジウム on Ustream