Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

これほどまでに地震が頻発している異常事態の中、ついに富士山まで目覚めてしまったようだ。3/11に最大震度7が発生する2日前の最大震度5弱を起点に考えると、日本においてこの1週間で震度3以上の地震だけでも250回近く起きている模様。震度5強以上でも20回近く。もう何が何だかさっぱりわからない。揺れたとしても「またか」と思う程度でもう平然としています。感覚が麻痺してる。




日本の一大事でも、今はただの一般人でしかないのでただ平凡に暮らしています。電車は使わないし、ガソリンは満タンだし。たまにスーパーに行くとカップ麺と水がなかったり、何故かトイレットペーパーを大量購入してる人が大量にいたりと、不思議な現象が起きてます。確かに計画停電とかあるけど、今この時に買うべきものなの?ちゃんと災害を見据えた人は食料やトイレットペーパーなどは備蓄してるだろうし、今勢いで買っても無駄な混乱を招くだけだと思う。普段通りの買い物でいいのではなかろうか。


しかしこの「ただの一般人」っていう状態が非常に悔しい。これまで学んできた建築構造の知識が全然活かせていない。実施設計の経験もないしただの学生だから、まあお呼びでないって感じだけれど、いつか私を必要としてくれる時が来るのを信じて、地震の情報収集をしながらひたすら勉学に励むしかない。それと、メディアや周囲の行動に惑わされない強い心が必要だと強く感じる。どんな情報でも表現ひとつで大きく変わってしまう。その事象の本質は何か、ちゃんと見抜くことが出来れば、慌てることもなく無駄に苛立つ必要もなく余計な心配をすることもない。誤解を恐れずに言えば、日本人ってどこか他力本願なところがあって、何か困ったことがあればどこからともなくお偉い人がやってきて解決してくれると思ってる。水戸黄門みたいに。しかし私はそんな日本人にはなりたくない。そんな世の中なんだったら水戸黄門側になりたいし、もしなれなくても足を引っ張るような人にはなりたくない。自分の身は自分で守る。有事にも的確な判断を下せるようになる。


とか何とか言いつつも、実際この異常事態がとても怖いのは事実。早く収まれ。もしくは誰かそばにいて。