Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

あの巨大な揺れから1週間。それ以降、数えきれないほど揺れた。緊急地震速報も鳴りすぎてもはや日常になってしまった。




この1週間で、我々がどれほど電気に依存していたかがよくわかった。そして、危機管理能力というか緊急事態の判断力が問われた。


火力発電所原子力発電所が止まってしまうと、普段通りの生活が出来なくなる。電車の本数が減ったり、計画停電でしばらく暗闇になったり、節電のため暖房を我慢したり。それでも、何もかもがストップしているわけではなく、大規模な停電が起きないように個々が地道な努力をしている。大混乱を防ぐためにも、たとえ微々たる貢献であれ、一日本人として取り組んでいる。


原発放射能がどうとかいう話は少し大げさに報道されているような気がする。たしかに気にはなるが、都内から西へ逃げるほどでもないように思う。なぜそうなったのか。マスコミが煽っていることもあるだろうが、個人が正しい判断を出来ていないだけだと思う。例えば単位の違いとかに惑わされたり、少し調べれば分かる知識を持っていなかったり。特に単位がたくさんあることなんて、義務教育のレベルで知ってるはずなんだから、もう少し落ち着くべき。そして、地震なんて日本各地で起きる可能性はあるし、原発も各地にあるから、日本にいるならどこにいても同じ。とはいえ、自分が一番落ち着く場所に行くという考えはありかもしれない。冷静になれる場所って大事ですからね。


やはり、最低限の知識を持っていないと判断力が鈍ってしまう。理系なら文系を、文系なら理系を、もっと興味を示した方がいいと思う。緊急時ほど総合的な判断力が必要となる。ただでさえ多くの情報が簡単に手に入ってしまう世の中なのだから、どれが大事でどれが大げさでどれがデマか、個人で判断できなければならない。もし、判断できそうになければ、頼りになる知人に聞けばよい。そのためにも、普段から色々な人脈を広げておいてもいいと思う。有用な情報をくれる人だけでなく、ただ馬鹿なことを言い合って笑いまくって不安感を減らしてくれる人とかも。


今、原発を止めろなんて言っている人は、偏った判断しか出来ていないんだと思う。どれだけの電力を原発に頼っていて、停止することにより他の発電所にかかる負担はどれほどのものか、知らないんだと思う。さらに今のこの状況を鑑みれば、ただでさえ不足している電力をさらになくすことなんて出来ないと分かるはずである。今はまだ春。夏までにすべての発電所が復旧しなければさらに大変なことになる。原発は賛否両論あるのはよくわかる。でもこの非常事態に問うべき問題ではないだろう。


1週間経って、地震の被害の状況が明らかになってきた。主に津波の被害が多かったようだが、揺れによる構造物の倒壊は少なかったようだ。これは揺れの周期に因るもので、短周期波が卓越していたことにより、崩壊を免れたものが多い。物体にはそれぞれ固有周期というものがあって、それと合致した周期をもつ地震波に襲われると激しく揺れる。また、揺れながら部分的に損傷することにより、物体が柔らかくなる(と言っても伝わりにくいが)ため、周期が長くなる。例えば、木造の住宅なら、周期が1秒前後であると崩壊しやすいと言われている。もちろん、物体ごとに違うので一概には言えない。この程度の情報なら、ネット上で簡単に手に入るので、興味を持った人は是非調べてほしい。ただ怖いようと怯えているだけよりかは、幾分安心するだろう。


まあ何が言いたいかって、目の前にあった情報に惑わされて変な行動を起こさないように、己をしっかり持ってほしいということ。それぞれの立場があると思うから、これを知っておけば問題ないなんていう甘い話ではない。平凡な毎日であることに幸せを噛みしめ、非常時にいかに素早く日常に戻れるか、自分のことだけでなく、また、今のことだけでなく、少なくとも自分が生きてる限り平和に暮らしていけるかを考えていかねばならない。強い自戒もこめて。