Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

あれから半年と少しが経った。未だに被災地には行っていない。各方面から行った方がいいのではという言葉を投げかけられるが、気が向かない。行きたくないわけではないが、行かなきゃいけないとは思っていない。




それよりも、漁村とはどういうところなのか、ということの方が気になっていた。少し考えれば分かるだろう。島国であり歴史記録から大地震に何度も見舞われ津波の被害にも遭っているのに、何故海辺に住み続けるのだろうか。それほど魅力のある土地なのだろうか。そういったことを考えながら漁村・漁民について学ぶべく、海の博物館と、被災地ではない漁村に行ってきた。


何故被災地には気が向かないのに、普通の漁村にはさっと足を運んだのだろうか。帰りの夜行バスの中でぼやっと考えていたが、結論から先に言えば、私の軸が構造工学にあるからだと思う。構造工学は、外力を予測しいかに被害を最小限に食い止めるか、ということを常に考えている。現状の安全を維持し、今後の不安を取り除くことが重要であって、復興は少し違うように思う。もちろん被災地に学ぶことは多々ある。しかし今後襲われる大震災に立ち向かわなければならないという義務感の方が強い。もちろん、地元がそういう危険に晒されていることもある。私の体はひとつ。人生は1回。今の被災地には専門家ではなく、一般人として関われればいいという気がしてきた。旅行とか。


漁村から学ぶことは多かった。漁村といっても千差万別であり、たった2つしか見ていないが、なんとなく漁村とは何か理解するきっかけが見えてきた。こういう言い方をしていいのか分からないが、漁民は狩猟民族であること。今でいう肉食系。反対に農民は農耕民族。今でいう草食系。狩猟で生計を立てていくというのは農耕に比べてハイリスクハイリターンである。つまりリスクを冒してでもリターンを求めている。


また、これは教えていただいたことだが、漁民たちの「祈る」という行為の重要性は想像以上に疎かにできない。自然に逆らうことはしない。さらに古くから減災に取り組み、自分の体験を後世に伝えてきた。この伝えるということが現代になって希薄になっている。それは何故なのか。技術が進歩しすぎて自然の驚異に鈍感になったのか。長い間そういった危機に晒されなかったから忘れ去られてしまったのか。どちらだろうか。どちらでもないのだろうか。結論は出ない。


こうしてブツブツ言っても何も変わらないのは分かっている。今考えていることを書き残しているだけである。ただ単に、私は関わりのある周囲の仲間たちが幸せになってほしいだけで、笑って一生を終えてほしいだけで、そのために何ができるか考えている。日本全体を俯瞰しているわけではない。全てが特殊解。平等とか普遍とかいう言葉は偽り。エネルギーは粗密がないと発生しない。