Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

発生から丸一日以上経ち、自分の身の回りの安全を確認したので記録に留めておこう。ただでさえ未曽有の事態なのに、なんだか非日常の体験をした。




地震のあった3/11は、内藤廣氏の退官記念講義の日だった。しかも前日に、セシルバルモンドが来ていることを知り、友人と一緒に出掛けていた。予定としては、2k540→セシルバルモンド→退官講義→送り出す会という流れでした。


2k540を存分に楽しみ、東大へ移動してすぐ退官講義の受付をして偶然良い席が取れ、セシルバルモンドが講評している姿をただただ眺めていた。中庭に増床した部屋にいたからか、最初の揺れはすぐに気付いた。でもまあいつものたいしたことない地震だろうと思っていたら、どんどん揺れがひどくなって、吊照明や設備などが揺れだして、セシルバルモンドも不安な表情をみせていた。揺れが収まらず、どんどんひどくなり、私たちは建物から脱出した。非常扉も締まり始めていて、少し怖かった。もちろん、セシルバルモンドと一緒に逃げました。笑


建物から出てもなお、揺れが収まらない。たまに立っているのもやっとな状況になりながらも、周囲にいた友達や先生方と共に難は逃れました。しかし、収まることを知らない余震の影響で、まさかの退官講義中止との知らせを受け、事の重大さを見せつけられました。その後、大銀杏の下で内藤さんが2分ほどスピーチ。「宮城を思わなければいけない。いつ我々の街が酷い災害に遭うかもしれない。そのことを頭に入れて大学を去りたい」全国から集まった聴衆を前に、この決断。建築に携わる立場から、とても重いお言葉。


その後、一応地下鉄の様子を見に行ったが、案の定全線ストップ。点検中でした。寒さに負けてラーメンを食べ、行く場所もないので景観研に居候していました。幸いにして、もう数年出入りしている研究室なので、知り合いばかり。緊急事態で研究室のみんなは右往左往してましたが、私たちはテレビやネットで情報を仕入れていました。日本のインフラは本当に素晴らしい。


夜中に鉄道も復旧し始め、なんとか帰れる状況になったけど、余震が止まらず、街には人があふれ、事態がどう動くか想定できなかったため、夜中に行動するのはやめることに。助教さんや学生さんたちのご厚意に甘えて一晩景観研でお世話になりました。一人じゃなくて本当に心強かった。ありがとうございました。


テレビに映る災害の状況や緊急地震速報のせいで一睡もできなかったが、日の出とともに自宅を目指した。既に地下鉄は混乱もなく、余震のたびに止まったりはしていたものの、なんとか家まで辿りつけた。部屋の中は多少散乱していたものの、大きな被害は全くなかったので、そのまま研究室へ。既にある程度片付けられていたけれど、先生に顔を見せることができてホッとしました。本棚から散乱していたものを片付けつつ、災害情報を確認しつつ、頭が働かないので昼過ぎに帰宅。地元の友達や親戚関係から多くのメールや電話をいただきました。ありがとうございます!


少し寝て、夕方起きたら原発の話とか、事態がだいぶ進んでて飲みこむのに時間がかかりました。部屋にテレビはないけどネットの情報とかtwitterで一応事態はある程度把握できています。このまま停電などしなければいいけど。


とはいえ、私たちエンジニア(の卵)はここからが出番です。ただただ傍観者でいるわけにはいきません。この東北・関東・信越の非常事態、もう起こらないとは限りません。今回の経験を後世へ。