Something for Structural Engineering

建築土木の構造工学と,その周辺

前回告知したシンポジウムは大盛況のうちに幕を閉じました。
ありがとうございます。


いや、閉じたというか、これが始まりのような気がします。


鉄は熱いうちにということで、今日感じたことや今後につなげたいことなどを書いていこうと思います。


下条村伊藤村長のお話は、日本という国から小さな地方自治体である村までの壮大なものであった。
デザイナー山崎さんのお話は、今後の社会にあるべきデザインの形を示すものだった。


詳細はあえて書かない。
このシンポジウムはあの空間の雰囲気を味わってこそ価値があるものだと思う。
だからこんな文字にしても意味はない。


私が常々思っていることは、国民の意識改革である。
安全が当たり前、快適が当たり前、国が万事保障してくれると思い込んでいる国民が多い。
しかしそれは間違いで、そんなぬるま湯に浸って欲しくはない。


国がなんでもしてくれると思ってるなら、もっと税金を払った方がいいと思うし、払いたくないならもっと主体的に活動していくべきである。
国民は弱者ではない。
国に要求さえすればいいってものでもないし、ただ批判したって、だから何なの?と思う程度のものである。


どんな施策や政策、方針などにも良い点悪い点が混在し、それらは一人ひとりの捉えかたの違いによって左右される。
多様な社会になり考え方ももちろん多様になってきた。
だからその政策などが自らに悪影響だと主張するのも分かるのだが、大事なのはその次。
どうしたら好影響になるのか。


さらにはもっと言いたい。
自分の家族や地域社会へ、どうしたら好影響になるのか考えてもらいたい。


自分が自分がって、権利だけを主張する心の狭い人にはなりたくない。
でも最近メディアに取り上げられる人はそういう人ばかり。
もちろん一般人だけのことを言っているわけではない。


メディアがそうさせるのか、実際日本はそういう現状なのかは定かではないが、どこか空しさだけが残る。


前置きが長すぎた。ここからが今日思ったこと。


私はArchitectを目指している。しかし単なる建築家ではない。
・・・ってことをどう表現していいのか分からずにいたが、両氏はまさに私が目指すArchitectであった。


首長が信頼されていること、人間的なバランスが取れていること、一歩踏み出していること。


まさにこれ。
山崎さんが仰っていた「Archi+tect」。
技術を統合していって建築になるという意味。
この色んなものを統合する力が欲しい。
こんな基本的なことだった。


もちろんそれは今専攻している建築構造とはかけ離れているのでは?と感じる人もいるかもしれない。
しかしそれは違う。
構造を理解していなければ建築はできない。
建築ができなければ人は暮らせない。
人が暮らせなければ世界は成立しない。


だから全ての根本は構造。まあ少し大袈裟だが。


そんな中で、人口減少が叫ばれる昨今で新たな建築の創造が必要なのだろうか?という疑問は前々から抱いていた。
では建築を学ぶ私たちに何が可能か?と問う。


私たちは「ものをつくること」を通して人々の生活を学んできた。
だから単純に「ものをつくること」で社会に貢献していきたい。


しかし、両氏が仰っていたように、ただ形のあるものを作るのではなく、そのプロセスや住民の意識、持続的な取り組みなどが重要なのであり、構造の知識ばかり増やしていても、これからの社会では宝の持ち腐れになってしまうのである。


つまり、ものづくりをプロセスからデザインすること、これを実現するためにはまずコミュニケーション能力を身に着けることではなかろうか。
懇親会の2次会で、とある学部生に説いたが、GSユースのような団体にもっと積極的に参加し、コミュニケーション能力を磨いていった方が良いと。
でないと自分の設計の腕をいくら磨いたって宝の持ち腐れだと。


これは誰にだって当てはまる。
まずはコミュニケーション能力。
さらに伊藤村長の発想と実行力、山崎さんの話術などは見習うべきところである。


こうやって私は我が道をいくのである。
こう考えていることが、道を外れてしまったとか思われない社会になって欲しい。


そういえばとある後輩に「この先どうするんですか」なんて聞かれてちょちょいと答えたが、あれは建前。
本音はもう少し落ち着いた時に言うかも言わないかも。


ちゃんと信念を貫くことが色んなことの第一歩である。